「知られざる宇土の名宝」展 出品作品
多波連(たはれ)島図
作者
米田本子、米田是容(これかた)
解説
古くから「風流島」(たはれじま)とも書かれるこの島は、宇土市住吉町の有明海に浮かぶ島で平安時代以来の歌枕として全国に知られてきました。東西65m、南北40mほどの岩礁で、住吉神社が祀られています。『伊勢物語』『枕草子』『後撰和歌集』ほかの歌集にも詠まれた歌枕です。
『伊勢物語』に「名にしおはゞ あだにぞあるべき たはれ島 浪のぬれぎぬ 着るといふなり」とあるように、「濡れ衣」の象徴にもされたようです。
米田本子
米田本子は細川藩家老の一人米田是容の姉美津のことで、歌や絵をよくした才媛として知られています。絵は矢野派の衛藤勝夷(えとうしょうい)に学び、女流とは思えないような強い筆法をみせています。 明治7年(1874)67歳で亡くなりました。
米田是容(これかた)
米田是容(1813~1859)は、細川藩家老で幕末期の藩政改革に尽力した重要人物の一人です。
歌の「夕日影 しはしはのこれ たはれ嶋 なみの濡衣 いまやほすらむ」は、改革に挫折し弘化(1847)に辞職したときの気持ちを詠んだものかもしれません。
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